やっしーと康夫ちゃん

やっしーがシンボルマーク

「脱ダム宣言」をした当時の長野県知事の田中康夫氏ですが、田中康夫氏も嘉田由紀子氏が新党を立ち上げたように新党を立ち上げました。既成政党にとらわれずというのでしょうか。田中康夫しは阪神淡路大震災の復興ボランティアで活動していましたが、その後神戸空港の建設に反対して住民投票を求めて市民運動へ積極的に参加しました。田中康夫氏の積極的・精力的な活動から2000年に長野県の市民団体から長野県知事選への出馬を打診されて出馬となりました。

田中康夫氏が選挙戦を戦う際に、いつも身につけていたカモシカ・やっしーのブローチが印象によく残っているのではないでしょうか。長野県知事選に出馬して、草の根的な選挙戦を展開した田中康夫氏ですが、この選挙戦は田中康夫氏よりも有力候補がいてその候補者は多くの業界団体の支持を得ていたため当選確実だといわれていましたが、田中康夫氏の当選となりました。

長野県知事時代

長野県知事に就任後は、周知の通りの「脱ダム宣言」や「脱・記者クラブ宣言」「車座集会」といった、歯に衣着せぬ発言や革新的な提案で長野県だけではなく、日本中から大きな支持と注目を集めることになりました。公共事業費や公務員人件費の削減を、バッサバッサと行なったため、長年赤字で財政再建団体へ転落寸前だった長野県の財政は黒字化することになったため、5年間で923億円の累積債務を減少させたと田中康夫氏は主張していますが、その半面では、長野県の「貯金」に当たる財政調整基金、減債基金、公共施設整備といった494億円の取り崩しが行われてお、あし。また長野県の税収は2,560億円から2111億円に減少しています。予算配分に関しては、全国で初めて全小学校の1~4年生の30人学級化を実現したりといった、福祉や教育分野に重点的に配分させていて、長野県の財政構造を大きく変化させています。

知事に就任後

田中康夫氏が長野県知事に就任した直後、マスメディアの注目を集めることになりました。その中でも、知事室が1階ガラス張りということもありますが、当時の企業局長による「名刺折り曲げ事件」はマスコミに大きく取り上げられました。このときは、長野県の企業局長が、上司にあたる知事から名刺の手渡しに異議を唱える行動で、知事から名刺を起業局長が受け取った時に、田中康夫氏の名刺を「メールアドレス以外はなかったことに」として折り曲げたことです。この「名刺折り曲げ事件」大きく取り上げられることになりました。ちなみに企業局長は、名刺を折り曲げた行動の真意について、田中氏は後に局長が名刺交換を儀礼行為と感じたために名刺を折り曲げただけで、実は数少ない理解者の一人だったと記しています。

長野県知事に就任した直後の各新聞社の調査では、田中康夫氏の支持率は軒並み高い支持率になっていました。特に信濃毎日新聞で2000年12月の調査では91.3%という支持率を記録しています。こうした状況について、田中康夫氏は『愛の大目玉』で「思考停止に陥っており、ファシズムの様相を呈している」「ヒトラーの再来」と表現での報道に関してを「自分は体型的にはムッソリーニだしどちらかと言えばその方が好きだ」と返していました。

市町村合併について

長野県知事に在任中は、国の主導で行なわれていた「平成の大合併」には慎重姿勢を取り続けました。中山間地域といった合併が困難な町村に対しては、自立を支援する「長野モデル」を打ち出したり、「市町村合併をしない宣言」をした福島県東白川郡矢祭町を視察したほか、合併の是非を問う住民投票が行われた千葉県四街道市や長崎県北松浦郡小値賀町などを訪れて、合併反対派を応援したり合併反対の講演を行ったりしました。田中康夫氏が、市町村合併に関して慎重な姿勢をとっていたこともあって、長野県内では住民投票の結果を受けて、合併協議が破談に追い込まれる事例が続出しました。

それでも、関係市町村議会の議決を経て、合併を知事に申請した県内市町村の合併については、法に則って合併に関連する議案を定例県議会に提出してきましたが、木曽郡山口村の岐阜県中津川市への越県合併については、2004年(平成16年)4月に両市村からの申請を受理した後の、6月・9月の定例県議会への合併関連議案提出を見送っています。そして、12月定例会への議案提出の条件として、全県民を対象とした意向調査の実施を決めていますが、そのための関連予算案が9月定例会で否決されたことで、12月定例会でも田中康夫氏は合併関連議案の提出を見送っています。

このため、県議会の大半の会派の共同という形で、合併関連議案を議員提案して、その可決を受ける形で田中康夫氏も合併に同意しました。そして総務省への申請と官報告示を経て、2005年(平成17年)2月13日に両市村は合併して、山口村は長野県を離脱して岐阜県に編入されることになりました。

民間人を長野県の職員へ登用

2002年(平成14年)に、長野県公安委員会の委員に松本サリン事件の被害者となった河野義行氏を登用しています。また2003年(平成15年)には、任期付きの職員の採用を可能とする条例が長野県議会で制定されたのを受けて、同年2月に任期付き職員第1号として前GEキャピタル・エジソン生命取締役の丸山康幸氏を、長野県産業活性化・雇用創出推進室長として就任させています。

『脱記者クラブ』宣言

田中康夫氏は、『脱記者クラブ』宣言も行ないました。これは、「大手マスコミの情報独占を止めさせるため」として、記者クラブに加盟できない多くのジャーナリストや外国メディア、雑誌から『脱記者クラブ』は賞賛されました。しかしこの『脱記者クラブ宣言』は、既成権益を守ろうとした新聞社をはじめとした大手マスコミから激しく非難されました。読売新聞や信濃毎日新聞といった大手マスコミと田中康夫氏が確執を生むきっかけとなりました。

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